まーこの不妊治療録

不妊治療中に思ったことあれこれ記します

胚移植3回目

夏の日差しが照り付けること

 

胸を高鳴らせながら

 

大切に育てたたまごをお腹に戻しました。

 

奇跡的に胚盤胞という状態にまで育ってくれたのに

 

着床まではいかなくて

 

心を抉り取られる日々を続けていました。

 

気が付けば季節は冬。

 

薄暗い空のように

 

私たちの心もどんどん暗くなるばかりでした。

 

 

 

 

1.まだ3回目

励まし

夫の友人に体外受精を4回してやっと授かったという話を聞きました。

 

体外で4回なら顕微はもっと可能性が低いんじゃ…

 

言ってもまだ3回目だし貯卵は3つある。

 

と不安と希望が入り混じった気持ちになりました。

 

私の周りの友人や知り合いは大体1回で妊娠したということが多く

 

そこにこだわりみたいなものを無意識に持っていたため

 

夫がそれはだめだ、と夫の友人の話をしてくれました。

 

落ち込みと奮起を繰り返し、3回目の胚移植が近づいてきました。

 

 

 

 

2.職場

office

私の職場は不思議なところでした。

 

社員は9割が女性でパートさんも多く

 

かといって女性特有のギスギスした雰囲気でもなく

 

ピリついているかといえばアットホームな

 

何とも言えない場所でした。

 

それでも業務終了後の飲み会や

 

スタッフ同士での雑談もなく

 

プライベートなことはあまり知らないという

 

さっぱりしている人間関係が築かれていました。

 

ある日先輩と2人きりになり雑談をしました。

 

転職して2年、初めて深い話をすることができました。

 

お互い30歳半ばになり、話題は自然と結婚や出産についてになります。

(先輩は独身です)

 

なんとなく、そのタイミングで先輩に不妊治療をしていることを話しました。

 

会社には不妊治療をしていることを一切伝えていませんでした。

 

スタッフの数も少ないし家族経営のため、一人に話したら全員に伝わることを恐れ

 

誰一人に言っていませんでした。

 

それでも定時にダッシュで帰ったり、午後から早退、有給を何度も取っていれば

 

変に思っている人もいたかもしれません。

 

それでも文句を言われたり不躾に聞かれたりすることはなかったのでありがたかったです。

 

そんな中で先輩にぼそっと話してしまったのは、心が荒んでいたということもあります。

 

とにかく誰かに話を聞いてほしかったのかもしれません。

 

自然に言葉が出てきました。

 

先輩は最初は驚いていたものの、変に都合のいい言葉を並べるわけでもなく

 

ただただ私の話を聞いてくれました。

 

そして、今後も変わらず有給や早退を繰り返しても大丈夫だからと、

 

私の現状に理解してくれました。

 

励まされたり、寄り添ってほしいわけではない私にとって

 

先輩の存在はとてもありがたく、今でも感謝しきれませんでした。

 

それからは休みを取るたびに先輩だけにはしっかり理由を言って休むようになりました。

 

 

3.結果

結果

胚移植を終え、年末に結果を聞きにクリニックに行きました。

 

検尿後、当たり前のように採血。

 

この時点であぁ、まただめだったか…とがっかり。

 

診察室に呼ばれおじいちゃん先生からは案の定

 

「HCGの数値がほぼ出ていませんでした」と一言。

 

事前にがっかりはしていたけど

 

なぜこのじじいはこう人の神経を逆撫ですることしかできないんだろう。

 

そのハゲかかっている頭を叩き散らかしてやろうかと怒りに燃えてきました。

 

気づけば受診当初から積もり積もっていた不信感という水は

 

大洪水を起こしてコップから溢れるどころかコップも割れて壊滅状態になっていました。

 

「転院しようかな…」

 

初めて”転院”という言葉が脳裏をよぎった瞬間でした。